1: 元プロ野球選手の清原和博氏が12月12日、元阪神・片岡篤史氏のユーチューブ動画にゲスト出演。pl学園高等学校時代の同級生である元巨人・桑田真澄氏について言及した。 高校時代は「kkコンビ」として共に高校野球界を席巻 … モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。, aigawa2007さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 桑田は自意識過剰で腹黒い悪(ワル) 清原は薬漬けされて、金巻き上げられたが、悪(ワル)ではない。 206 通行人さん@無名タレント 2017/02/05(日) 13:43:21.59 ID:VSve1St30 30年前、甲子園をわかせたpl学園の清原和博と桑田真澄のkkコンビは、ドラフト会議で巨人の1位指名確実と言われた清原が指名されず、桑田が巨人から1位指名を受けた衝撃的なプロ入り経緯でさらに注目を集めた。あのとき、いったい何が起きていたのか。 hatena_counter_ref = document.referrer+""; 桑田真澄さんの発言が気になるとこですね. To see this page as it is meant to appear, please enable your Javascript! 第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。 第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。 石田文樹(取手二高のエース) 1984の夏の甲子園で桑田・清原のkkコンビ擁するpl学園を破り優勝、 一躍スター選手になる。その後、早稲田大学にスポーツ特待生として進学するが、 猛烈ないじめにあい、半年で退部、大学も中退。 第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。 第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。 | 面白スポット 関西 東海 四国 九州  , 2020 All Rights Reserved. 第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。 大阪近辺に存在すると噂されるネターランド王国の国王でありながら、フリーライターとしての貌も持つ。 //-->, 地下鉄を降りて地上に出ると、梅雨が明けたばかりで空は真っ青、クソ暑い中を歩いて球場へ向かう途中、住之江公園内にあるプールの傍を通ると、子供たちのはしゃぐ声が聞こえて来たのを憶えている。, 住之江球場では夏の大阪大会、両校にとって初戦となる二回戦のPL学園×大阪学院大高が行われていた。, PLはこの前年および前々年とセンバツ2連覇を成し遂げていたが、前々年は西川佳明、前年は榎田健一郎という、いずれもプロに行った絶対的エースがいた。, しかしこの年の、背番号「1」の投手を見ると、球はお世辞にも速いとは言えず、彼らより著しく劣っている。, この頃の大阪と言えば「私学7強」と呼ばれるレベルの高い地区だったが、この年に限っては私立、公立を問わず「30強」と言われていた。, 群雄割拠と言えば聞こえがいいが、要するに本命不在、悪く言えばドングリの背比べだったのだ。, ここ2年間、PLはセンバツ2連覇を果たしたものの、夏はいずれも大阪大会で敗退していたため「春には強いが夏に弱いPL」と揶揄されていたのである。, この年のPLは、もちろん30強の一つに数えられていたが、攻撃力はあるものの投手力が不安、と言われていた。, 前年秋、新チームになったPLの背番号「1」を背負っていたのは、左腕の東森修だった。, 東森は入学当初から期待をかけられ、事実エースとなった秋季大会の河南戦では完全試合を達成している。, 秋季大会では準々決勝で上宮に敗れ、センバツ3連覇の夢は事実上潰えたものの、東森がエースであることには変わりない。, 完全試合投手を押しのけてエースになった投手がこの程度とは、どうなっているのかさっぱりわからない。, 新聞評を読むと、5-0でPLがリードした9回、守口に2点を奪われてエースが降板、リリーフを仰いで何とか逃げ切った、となっている。, 名門・PLとはいえ、この心許ない投手力では、足元をすくわれる可能性が非常に高かった。, 僕はこの日、大阪球場の急勾配のスタンドに座っていたが、PLのマウンドに立っていたのは背番号「17」の投手だった。, 当時の大阪大会はベンチ入り人数が17名で、背番号「17」ということは要するにドン尻の選手である。, ところが、背番号「1」の投手より遥かに小さい背番号「17」の投手は、背番号「1」の投手よりも遥かに凄い球を投げていた。, 翌日の新聞を見てみると、今大会初登板となる背番号「17」の投手は、桑田真澄という一年生だったことがわかった。, 桑田と同じ一年生ながら192cmの長身で、中村順司監督は秘密兵器と位置づけ、おそらく桑田よりも期待をかけていただろう。, しかし、PLは初回に4点を取ったにもかかわらず田口が2回に1点を入れられると早くも降板、3回から桑田がリリーフして6-4で泉州を振り切った。, だが、エース番号を背負った順番で言えば東森、酒井に次ぐ3番目で、期待された投手ではないことがわかる。, 藤本とて中学時代、少年野球大会で全国優勝した投手だったが、入学してからは東森の陰に隠れていた。, しかし、その東森が肩を壊し、三年生投手3人では頼りにならないため、一年生の田口や桑田をテコ入れしたのである。, 清原を四番に据えたのも、打線が投手を援護しなければ、とても大阪大会を勝ち抜けないと思ったからだろう。, いずれにしても、当時のPLが一年生を3人もベンチに入れるというのは、異例中の異例だった。, 準々決勝、主会場の日本生命球場で大阪産業大高(現:大阪産業大附)と対戦したPLの先発は、一応エースの藤本。, 0-0で試合が進んでいたため、1点でも取られると危ないと中村監督は思ったのだろう。, 準決勝、日生球場での府立校の茨木東戦では、茨木東のエース・山内嘉弘に打線が抑え込まれて大苦戦。, PLの先発は酒井だったが、初回に1点を入れられて早々と、今大会初登板となる東森がリリーフ。, 0-1と1点ビハインドで進んだ8回、PLは清原の二塁打を足掛かりに2点を奪い逆転に成功、そのまま逃げ切って決勝に進出した。, 急遽、リリーフに立ったのは東森だったが、いきなり走者一掃の長打を浴びて、3点を先制された。, だが、そこから東森は立ち直り、桜宮打線を0点で抑え、その間にPL打線は5点を取って一気に逆転したのである。, 9回表、一死後に東森が四球を与えると、中村監督は伝令を送り「ピッチャー、桑田」を球審に告げた。, 実は、その声は東森に対してではなく、中村監督に向けて聞こえよがしに叫んでいたのだ。, 藤本にとって、三年間苦楽を共にしてきた東森に、甲子園出場を決める最後の瞬間をマウンドで味わってもらいたかったのだろう。, と同時に、「ポッと出」の一年生・桑田に最後のスポットライトを浴びさせるのは、やり切れない思いだったに違いない。, 一死一塁でマウンドに立った桑田は、次打者をアッサリと併殺に打ち取り、5-3で勝って甲子園出場を決めた。, 桑田は背番号「17」から「11」に”昇格”、東森と酒井もメンバーに選ばれたが、田口はベンチ入りから漏れている。, 大阪大会の記述を見ればわかるように、桑田は1試合しか先発登板がなくて、あとは全てリリーフである。, 甲子園でも藤本か東森を先発させて、いざとなれば桑田をリリーフに送り込む、という戦術が予想されただけに、意外な先発起用だった。, 桑田先発の理由に関し、中村監督は「桑田は一年生だし、怖いもの知らずのところがいい」と語っている。, その面もあるだろうが、本音としては甲子園では桑田でないと通用しない、と考えていたのだろう。, かつて一年生で準優勝投手となった「バンビ」こと坂本佳一(東邦)や荒木大輔(早稲田実)の再来、ともてはやされた。, 「ほう、藤本のヤツ、一年生にマウンドを奪われたにもかかわらず、桑田に負担をかけまいとバッティング投手を自ら申し出るとは感心な男や。これぞ三年生の鑑、優勝するためにも藤本の力が必要やな」, 「お前も投手やったら、指先をふやけさせたら良うないことはわかるやろ。そやから、桑田には炊事当番をさせんよう、他の三年生に頼んでくれ。それに、桑田が付き人を務める先輩の部屋やったら先に寝れんやろうから、お前の部屋に連れて行ってぐっすり寝かしてやってくれ。俺からそんなことを言うと、他の三年生が不公平に思って面白くないやろうからな」, 藤本は言いつけ通り桑田を自室に呼んでぐっすり寝させ、炊事当番をさせないようにした。, 「こんな無茶な申し出にも、藤本はイヤな顔一つせずに、ちゃんと実行してくれている。藤本には必ずチャンスをやろう」, 中村監督にしては「藤本にチャンスを与える」という思いがあったのと、もう一つはこれから連戦となるため、桑田を休ませようとしたのだろう。, それにしても、これまでで一番の強敵なのに、事実上のエースの先発を回避するのは勇気が要ったことに違いない。, だが試合は打線の援護もあり、藤本は7回2失点の好投で8回からは桑田にバトンを渡し、6-2で東海大一を破って8強に進出した。, 三年生エースとして責任を果たせたこと、さらにベスト8に進出して全国制覇が見えて来たことにより、なんとしても優勝したいという思いが強くなったのだろう。, PLは高知商のエース・津野浩を攻めて打線爆発、序盤でいきなり8-0と大きくリードをとった。, 8-5まで詰め寄られて桑田はKO、東森がショートリリーフを務めて、藤本がマウンドに上がる。, 5回裏、PLは2点を奪って再び10-5で突き放すも、高知商の「黒潮打線」の勢いは止まらず、藤本に襲い掛かって10-9と1点差まで詰め寄られた。, スピードはないもののコーナーを丹念について黒潮打線をかわし、なんとか10-9と1点差を守って逃げ切った。, 先発の桑田が責任回数の5回を投げ切れなかったので、藤本にとって甲子園2勝目となったのである。, 池田は前年夏、この年の春と夏春連覇を果たしており、この大会では史上初の夏春夏3連覇がかかっていた。, 準々決勝では「事実上の決勝戦」と言われた中京(現:中京大中京)を破り、3連覇間違いなしと思われていたのである。, 「PLは桑田と藤本、どちらが先発するにしても、高知商に9点も取られた投手陣が池田の”やまびこ打線”を抑えられるわけがない。7分3分で池田が絶対的有利」, 「8-0のまま勝つのと、8-0から1点差まで追い上げられるのとでは、明らかに違うじゃろ」, 「高知商とは何度も戦っているので(いずれも池田の勝利)、PLとやりたかった。あの人文字応援の中での試合も体験したかったし」, 実際、準決勝の対戦相手がPLと決まった時、池田ナインはガッツポーズして喜んだという。, それまで中京や広島商といった強敵ばかりのクジを引いていただけに、PLは一番与しやすい相手と思っていたのである。, 池田戦では藤本の登板はなかったものの、高知商戦での粘りの投球がここで活きてきたのだ。, 1-0とPLリードで迎えた7回表の横浜商の攻撃、一死から桑田が四球を与えると、中村監督が動いた。, 「桑田が気だるそうに投げていたんです。四球が高めに浮いていたので、これは危ないと。最後は藤本の三年生としての精神力を信じてました」, 藤本が登板したその裏、チャンスで打順が回って来た藤本が放った打球はショートを強襲し、貴重な追加点となる。, 迎えた9回表、二死二塁から相手打者を2ストライクに追い込み、藤本が最後に投じたのはとっておきの秘球・パームボール。, 見事、見送り三振に斬って取った瞬間、PLの5年ぶり2度目の夏制覇が決まったのである。, マウンドで大きく両手を突き上げる藤本に、レフトから桑田が駆け付けて喜びを分かち合った。, 2年目といえば、桑田や清原の三年時にPLが夏の優勝を果たした年であり、4年目は桑田が読売ジャイアンツのエース、清原が西武ライオンズの四番打者として日本シリーズを戦った年だ。, 桑田は二つ返事で引き受け、はるばる鹿児島まで駆け付けたうえにサインボールなどをサービスし、翌日のゴルフコンペにまで付き合ってくれたという。, 藤本がエースとして夏の大阪大会で初登板・初先発・初勝利を果たした住之江球場。スコアボードが電光式になった以外は、当時とほとんど変わらない, 現在は取り壊された、大阪大会の主会場だった日生球場の跡地(2006年3月撮影)。藤本はPL卒業後、その日本生命に就職した, 安威川敏樹